katharsis

しがないオタクの萌え語りやソシャゲ、日常などを書きなぐったブログ。ネタバレ+毒あり注意。

写しの話

山姥切国広とソハヤノツルキが回想『写しの悲哀』の中で、写しである己の在り方について会話している。

山姥切は「俺はコピーじゃない」と言い、ソハヤは「コピーでいいじゃねーか」とあっけらかんと言い放つ。「写しから始まってもいいじゃねえか。問題はその後だ。生きた証が物語よ。お前の物語を作りな」と、山姥切を諭す。私は鍛刀キャンペーンでソハヤも大典太もお迎えできなかった審神者なので、三池兄弟の初入手は2016年末の連隊戦だったのですが、入手してみての感想は「なんか思ってたのとキャラ違うな!?」でした。

上記の回想は鍛刀できなかった悲しみからネタバレを見て知って、その時は「良い先輩じゃないか」と感心していたのですが、いざゲットして諸々台詞を聞いてみると、山姥切にああ言っておきながら、自分だって写しである事を拗らせてるじゃん!とツッコミを入れたくなりました。三池兄弟のキャラデザを担当した三輪士郎さん曰く、ソハヤは「ポジティブ写し」との事ですが、「写しである事を気にして拗らせてグレちゃったヤンキー」というイメージが自分の中ではしっくりくるなあ、と思っています。なのでソハヤと山姥切の写しの会話は、一見先輩として山姥切を諭しているように見せて、実はソハヤ自身が自分に言い聞かせていた回想だったのかな、と納得しました。

彼らにとってオリジナルである坂上宝剣や本科山姥切が実装されたら、ますます拗らせ度合が酷くなるんではなかろうか…と審神者は心配。