katharsis

しがないオタクの萌え語りやソシャゲ、日常などを書きなぐったブログ。ネタバレ+毒あり注意。

志と漢の世界

FGOにハマったのをきっかけに、久々に思春期のバイブル・北方水滸伝を読み返してみました。北方氏の水滸伝シリーズはここから更に『楊令伝』『岳飛伝』と物語が続いていきますが、『水滸伝』全19巻を読了したところでひとまず区切りをつけ、北方水滸を読んで改めて感じた事柄をつらつらと吐き出したいと思います。ネタバレのオンパレードなので注意してください。

一度「面白い」と感じた作品は何年経っても色褪せない魅力を感じて飽きないなぁ、と思いました。むしろ大人になってからもう一度読んでみると、子供の時分には気付けなかった新たな魅力に気付いて更に深く物語を咀嚼できるように思えます。学校で習った文学作品も、今改めて読んでみるとまた違った感想を抱けるかも。男と女の複雑な感情の機微が解るようになった辺り大人になったなぁ(笑)
林冲の、作中でも最強クラスの圧倒的な強さの中にある奥さんへの恋慕、未練が女々しくて弱さもある、完璧じゃない等身大の人間らしさが堪らなくかっこいい。挙げ句女一人を助けるために死にに行くんですよ彼は(一度本気で殺そうとした扈三娘を助ける辺りがミソ)。
王英と扈三娘の独特の夫婦としての在り方とか、お互い惹かれつつあったものの死別した晁蓋と扈三娘とか、探り合いながら惹かれていく燕青と李師師とか、一筋縄ではいかない男女の関係にもだもだしてました。楊令伝では郝瑾と李媛、花飛鱗と扈三娘の報われない感じにもだもだしてた記憶があります。

逆に、一度強く心に残ったシーンは今でも心を揺さぶられましたね。ハマってから何度も繰り返し読んで内容も結末も充分承知しているはずなのに、同じところで涙腺が刺激されて気付いたら泣いていたんですよね。阮小五や楽和が死ぬ場面は昔からボロ泣きしていたし(今回もご多分に漏れず号泣しました)、戦場の死の場面は勿論、戦場から遠く離れた子午山での楊令と張平の成長物語にもウルウルしてしまって、もしかして昔より涙腺弱くなった?子午山の場面は癒やし。
北方版では梁山泊に百八人揃う前に登場人物がどんどん死んでいくのですが、個人的に鄭天寿の死は犬死とは思えないんですよね。無意味にキャラが死ぬ展開は嫌いですが、死に方がカッコ良かったり、仲間の死が主人公の成長に繋がるような内容であればそれは無駄とは思いません。あくまで私の主観ですが。鄭天寿は戦に大勝したもののその後の事故で落命するのですが、彼の行動は全部熱を出した楊令のためで、水滸伝後半や楊令伝でも鄭天寿の蔓草の話が出てくるあたり、鄭天寿の死は楊令の成長にとって大きな転換期だったんだろうなぁと思ってます。丁得孫の死に方は完全に納得いかない犬死でしたが。

第n次水滸伝ブームが巻き起こっているのでこの機会に原典やら他の派生作品にも手をつけてみたいです。楊令伝と岳飛伝はこれから読むとして、吉川英治水滸伝も読みたい!