katharsis

しがないオタクの萌え語りやソシャゲ、日常などを書きなぐったブログ。ネタバレ+毒あり注意。

活撃について考えてみた②

五話時点で気になった点をつらつら挙げてみる。考えれば考える程纏まらない。ネタバレを考慮し追記に畳みます。

・兼さんが思う「土方さんの守りたかったもの」
→四話で慶応四年の江戸に辿り着いて複雑な表情を浮かべていた兼さん。勝・西郷の江戸無血開城の時期、旧幕府軍の主戦派であった新撰組は敗戦続きの中、江戸へ到着。勝から甲府の拠点を抑えるよう出陣を命じられ江戸を離れていた。こんのすけから受け取った懐中時計を見て堀川は前の主=土方歳三を連想する。「結局、土方さんが最後まで守りたかったものって何だったんだろうね」という堀川の問いに、「さぁな、お前に解らないモンがオレに解るわきゃねーだろ」とはぐらかしていたが、軍艦を追って海上に小舟を漕ぎ出した際、江戸の町並みを見ながら「土方さんの守りたかったものは、オレが護ってみせる」と心中誓っていた。
あくまで個人的な意見ですが、土方さんが守りたかったものは形骸化した徳川幕府などではなく、武士としての意地と誇りだったのではないかと考えています。旧幕府軍が拠り辺にしていた江戸の町を護りたい思いもあったのかもしれない。砲撃で町を火の海にする遡行軍のやり方は最新鋭の武器で圧倒した新政府軍との負け戦を否応なしに想起させたのでは。だから燃え盛る町並みを見て今まで隊長としての責務を全うして抑え込んでいた兼さんの理性はプッツンと飛んでしまったのかな、と。感傷的になっていたところを、前の主の思いまで冒涜するやり方で滅茶苦茶にされた訳だから。それにしてもあれだけ派手に焼かれて、歴史抑制力は効くのだろうか?

・蜻蛉切の安否
→敵大太刀と刺し違える形で決着をつけ、刀身にヒビが走る描写で五話の出番は終わってたと思われたが、次回予告で鶴丸と薬研が蜻蛉切の安否について言及していた。
急に声のトーンを落とす鶴丸「人の身体は脆いな」
沈痛な面持ちで俯く薬研「蜻蛉切……」
覚悟を決めた表情の鶴丸「大丈夫だ、きっと」
ゲーム内の活撃キャンペーン、六話分のログインボーナスがお守り×2。五話時点でお守りが必要な重傷を負ったのは兼さんと蜻蛉さんの二振り(薬研は軽傷)。鶴丸の言う通り「大丈夫」ならきっちり用意されたログインボーナスの意味に期待したいところ。
しかし、「大福好き」というキャラ設定をやたら推していたのも気になる。二話で「好きな食べ物は?」「大福が……」、四話では次回予告で「江戸には黒糖の餡を使った大福が~」という発言をしていた。単に食いしん坊キャラなのか、六話で「大福を食べた事が無い蜻蛉切(=刀剣破壊後、再顕現された)」が出てくる布石なのか。そう考えると二話で薬研が必要最低限の自己紹介しかしなかったのも納得できる。色んな情報を与え、もし自分が折れて記憶の無い新たな自分が顕現された時、仲間が傷つかずに済むから。今のところどちらとも言えない…。

・活撃審神者の抱える不自然さ
→活撃本丸の審神者が人間の術者という設定なら、人間らしさが現時点では見当たらない。二話で死体の山を見ても動揺せず、挙句「多少の犠牲は出てしまいましたが~」と淡々と述べる彼(or彼女?)が人間ならば普通の感覚の持ち主ではなさそうに見える。五話のラストが第二部隊隊長重傷撤退だとして、三日月に新たな指令を送る審神者は第二部隊が壊滅的な被害を受けた事を知っていたのか?知っていたなら、何故平然と第一部隊に指示を出していたのか。あるいは、刀剣男士を統べる主として、歴史を護るシビアな戦いの中で多少の犠牲はやむを得ないと割り切るようにになったのか。OP『ヒカリ断ツ雨』二番Aメロでも『変わらない日々があるためにどれだけの犠牲が要るだろう』と歌っているのが胸に突き刺さる。歴史は護るのも変えるのも大変なんだよな。
そもそも審神者とは「古代の神道の祭祀において神託を受け、神意を解釈して伝える者のこと(wikipediaより)」で、ゲーム内世界観、絢爛図録の記載では「眠っている物の想い、心を目覚めさせ、自ら戦う力を与え、振るわせる――物の心を励起する技を持つ者」らしい。公式設定に審神者は人間である、とはどこにも書かれていないんだよな。改めて、審神者って一体何なんだ…。