katharsis

しがないオタクの萌え語りやソシャゲ、日常などを書きなぐったブログ。ネタバレ+毒あり注意。

加州清光の話

ウチの初期刀の話。

よく、清光は愛されたい欲が強く、ともすればヤンデレとかメンヘラと言われるが、近侍にして台詞を聞いているとあまりそうは感じない。むしろ台詞だけ聞いてると、安定の方が嫉妬深く見えるのは私だけだろうか?サービス開始直後、ツイッターで散々「清光はヤンデレ」とか言われてたのを目にして、「一体どんなキャラなんだ…?」と始めるまでドキドキしていたけど、実際プレイしてみたら(少なくとも自分は)そうは感じなかった。百聞は一見に如かず、ってとこかな(贔屓目も多分にあるだろうけど)。

清光のみならず、沖田組二振りに共通するのは、元主の他に「扱いづらい刀であること」「愛されたい欲が強いこと」だと思ってる。自分で扱いづらい、使い手を選ぶ刀だと自覚しているからこそ、それでも愛用してくれる人を求めているのではなかろうか。
つまり、沖田組にとっての「愛される」は「LOVE」の意味合いの他に「物として愛用してくれる」という意味も含まれているように思えるんだよな。

ゲーム内での清光の言動は飄々としていて、どこか本心が掴みにくいように思える。自身が折れた池田屋の回想でも安定や長曽祢相手に戯けて見せたり、唯一弱音を吐くのは中傷以上の傷を負った時だけ。
手入れ時の「こんなにボロボロじゃ愛されっこないよな」は「ボロボロ=見窄らしく可愛くない=愛されない」ってよりかは、先述した考察を含め、かつて池田屋の激戦で折れた事を前提に、「ボロボロ=刃こぼれや傷が酷い=もう使ってもらえない」というトラウマを連想させてネガティブになってるのかも。使い手を選ぶ清光にとって、使ってもらえない=愛されない事は、見捨てられた=愛用してもらえないのと同じだろうから。

審神者就任一周年記念ボイスで「一年やってわかったろ? 誰が一番かって」、二周年では「もう扱いにくいとか、関係ないよね?」と確認してきたのは、言外に「この二年で審神者は清光の扱いに慣れたよね?」と認めてくれた信頼の証なんだろうか。