katharsis

しがないオタクの萌え語りやソシャゲ、日常などを書きなぐったブログ。ネタバレ+毒あり注意。

人間は勝手

三方ヶ原での回想で、後藤が不機嫌というか拗ねてる?理由がいまいちよく解らなかったのだけど、極の修行を経て何となくこうだったんじゃないかな、という仮説に行き着いた。

今日も幸運を運ぶと張り切る物吉に、皮肉っぽい口調で返す後藤。思わぬ反応に当惑する物吉。相変わらず拗ねた調子で「人間は勝手」と零す後藤に、物吉はそれでいいと言う。人間は勝手じゃないとすぐに死んでしまうのだから、と。

後藤が人間を嫌ってる様子は修行前も修行後も見受けられないし(今の主となる審神者の事も慕っているだろうから)、何故そんな事を言うのか不思議だったんだけど、場所柄「徳川家康という人間」について話しているなら納得出来る。

極の修行で、後藤が「自身には戦に纏わる逸話が乏しく、守り刀として重宝されたのは華々しい武勲を持つ兄弟のついでだったのではないか」という疑念を抱き、それをコンプレックスにしていた事が明らかになった。
では、何故藤四郎が守り刀として重宝されたか?取りも直さず、徳川家康が所持していたから。天下人・家康が重宝したからこそ藤四郎は守り刀として値打ちが上がり、刀剣男士の力の源である人の強い想い・逸話が篭りやすくなった。

回想相手の物吉も、家康が所持し、この刀を戦陣で帯びていると必ず戦で勝てる事から幸運の刀と呼ばれるようになった。向こうは派手な逸話があって、それを誇っている。それが余計後藤のコンプレックスを刺激してしまい、喧嘩口調で食ってかかるような言い方になったのかも。
三方ヶ原の回想は後藤の極を踏まえた上で、修行前の余裕の無い後藤が複雑な思いを抱いていた話なんではなかろうか。そう仮定すると物吉とは会話が噛み合ってない気もするけど。