katharsis

しがないオタクの萌え語りやソシャゲ、日常などを書きなぐったブログ。ネタバレ+毒あり注意。

完結篇と終わりの話

『劇場版銀魂完結篇~万事屋よ永遠なれ~』は本当に好きな作品で、個人的ベストエピソードを挙げるなら絶対上位に食い込むし、映画なんて滅多に観ない出不精の私が劇場に二度も足を運んだ位には好きです。同じ映画を観る為に映画館に通ったのは完結篇が最初で最後。ホントはもっと観たかったけど金と体力の問題で断念してDVD買いました。

完結篇はアニメの幕引きの為の物語であり(その割にはいつもの終わる終わる詐欺でアッサリ再開したけど)、同時に空知先生が思い描いた、作品が辿る結末の一つだと思ってる。原作者自らがアニメへの餞だとしても、明確な「終わり」のエピソードを描いた、という点が大きいのかも。空知先生が何時頃から作品の幕引きの構想を練っていたのかは判らないけど(死神篇は今後の展開へのフリとも仰ってたので、遅くてもその辺り?)、完結篇は将軍暗殺篇から続く最終章の土台になってたのでは。

そう考える根拠に、真選組がある。完結篇でもさらば真選組篇でも、近藤さんが幕府に捕縛され、処刑宣告を受ける。理不尽な理由で組織の頭を失った真選組は精神的・社会的に荒れてしまった。そこまでは細かい設定を除いてほぼ同じ展開とも言える。作中でもメインキャラである真選組が存続の危機に立たされるのは、空知先生が思い描く完結に欠かせない要素だったのかも(もっとも、完結篇はギャグ要素強めなのに対し、さらば真選組篇はシリアスでやるせなさMAXだったけど)。

ただ、ここで一番の違いが浮き彫りになってくる。坂田銀時が居るか否か。完結篇では銀さんは死んだ事になってて、それが原因で銀さんの周囲の人間関係もギクシャクしていた。万事を護る筈の万事屋も、とても周りに気を配れるような状況じゃなかった。一方のさらば真選組篇は、銀さんが居たからこそ近藤さんは心置きなく後を託せたし、土方が暴力に走るのも止められた。神楽も気持ちに余裕があったから沖田を諭す事が出来た。そう考えると坂田銀時の存在は偉大ですね。

ボスキャラである魘魅銀時と虚の行動原理も似ている。どちらも自分を殺す為に色々仕掛けている。言わば、壮大なスケールの自殺を試みている。魘魅銀さんは坂田銀時の存在そのものを抹消しようとしていたし、虚は星ごと葬り去ろうとしている。師弟だから考える事は似るんですかね。とんでもない師弟だな流石です。

自分は完結篇は物語の終わりを意識した作品であり、それを軸に伏線の回収を散りばめながら最終章の構想を練ったのかなー、と思うのです。勿論これは個人の勝手な解釈であり、本当のところは神=原作者のみぞ知る、ですが。